コロラド便り:独断的アメリカ事情

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題して:「コロラド便り:独断的アメリカ事情」
頃は :ブッシュ政権(現大統領のお父さん)から,クリントン政権の変わり目
場所は:コロラド州ボルダ−
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JCI(日本コンクリート工学協会)12月号。'海外便り'より再掲.
武蔵工業大学 吉川弘道,August 25,1992

1. まずは,ボールダー便りから:

人口8万人余のここコロラド州ボールダーは,標高1600mの高地に位置し,豊かな自然環境と晴天の多い住みやすい街.
このためMILE HIGH CITY(標高1マイルの街)とも呼ばれ,晴天は,年間300日を越えるとのこと.
位置的には山岳時間地帯に属し,テンバーの北40マイルで,西方にはロッキー山脈を仰ぎ,近くにはスキーで有名なベイル,アスペンが控えている.

(注:ここボルダ−(Boulder)は,世界の陸上選手のトレーニング地としてもつとに有名.既に,有森夫妻が居住地としており,最近では,高橋/シモン両選手が,シドニーオリンピック開催直前まで,ここボルダーにてトレーニングしていたことは,記憶に新しい)

整然とした街なみのおかげで,住所さえわかれば,私たち外国人でも容易に目的地にたどり着くことができ,また,ロッキー山脈を常に西側に仰ぐので,方向を失うことはない.環境,気候,交通,治安,そして住民と,すべての面で申し分なく,言葉の不自由さがなければ,こんな住みやすい所はない.CNNから流れる,犯罪,自然災害(竜巻,山火事,地震など),財政赤字の報道はまるで異国のことのよう.しかし,これから真冬を迎え,その様子は定かではありませんが.

本年4月より,米国はコロラド大学土木・環境・建築工学科ウイラム教授のもと,客員教授(Visiting Professor)として赴任し,来年3月末までの1年間の予定で,ここボールダー市に滞在している.住民登録,アパート捜し,中古車の購入,子供の入学から始まった新生活も,3回に一回は起きる小さなトラブルを克服しつつ,次第に落ち着いてきた.
娘2人は、到着後すぐ地元の学校(その名もアイゼンハワー小学校)に編入し,慣れてきたと思ったら,すぐ(6月の第一週)に学年終了となり,その後は3か月に及ぶ長い長い夏休みを楽しんでいる.ちなみに,日米両国の登校日数を調べて見ると,こなた180日,かたや241日と,なんと60日もの違い!こちらに慣れてしまうと戻ったときにどうなることやら心配で,これを逆カルチャー・ショック(Re-entry Shock)という.

着任当初は,大学よりも子供の小学校に行くことの方が多く,ここボールダーでの私の初仕事は長女(当時2年生)のバタフライ・ボックス(中に生きたサナギを入れて,その成長も過程を観察する生物の教材)を作ることだった.日本人のオリジナリティーを出そう,などと考えて,まわりに折り紙を貼ったりして学校に持たせた.
その後、何日たってもサナギを入れてくれないと娘が文句を言うので、担任の先生に尋ねたところ,人数分購入したサナギのうち5匹も死んでしまって,困っているとのこと.そのことを伝えると娘は納得し,一件落着とあいなりましたが,一体,私は何をしにアメリカに来たのだろうか.

そんな騒動も,今では楽しい思い出となり,異国での生活もすっかり慣れてきた.最近ではスーパーや銀行にでかけると、よく顔見知りの知人に出会うようにもなり,かなり馴染んできた感じ.

2. コロラド大学研究室風景

さて、研究のほうですが、準脆性材料(quasi-brittle materials)を対象とした、分枝現象(bifurcation)とひずみの局所化(strain localization)について取り組んでおり,非局所理論やコッセラ連続体の勉強も始めたところ.いわゆるdiffuse failure,localized failureおよびdiscrete failureを橋渡しする健全な理論を形成することがテーマだが,長期戦は免れない.今までやってきた非弾性構成則や破壊力学とは似て非なるところがあり,加えてLatexやらtensorやらに難儀しつつも,日本とは違った研究環境をエンジョイしている.また,ウイラム先生は,今夏名古屋大学田辺教授の招きで,日本を訪問しており,その精力的な講演を聞かれた方も多いでしょう.

コロラド大学のコンクリートと言えば,ガースル教授のことを思い浮かべる方が多いと思う.引退後も,秋・春学期1科目ずつ教授を担当しており,なお研究意欲旺盛で,折りに触れ声をかけてもらっている.こちらに着任したのが,1952年と聞き,ちょうど自分の生まれた年でもあった.
また,若手では,Shing助教授(ダムの破壊力学),Benson助教授(masonry structure)がおり,それぞれの分野で活躍している.ここに挙げた4教授はいずれも,昨年6月のRCFEM日米セミナー(コロンビア大学)に参加しており,日本でもよく知られるようになった.

ここコロラド大学は海外からの研究者(特にヨーロッパ系)も多く集まり,この夏は短期組長期組等併せて,おおいににぎわった.今年は,日本勢も多く土木系では5,6人と一大勢力となったが,彼らを含め私が海外研究者の長老格であることを知り,研究者としてはもう若くないことも知った.

あるとき,パリ大学のマザール教授(損傷力学の大家)が来訪したおり,10人程でディスカッションをした.その折,ふと見るとアメリカ人はひとりもいないことに気がついたが,もちろんだれも気に止めない.
ふらっと来て,国籍,人種,年齢に関係なく議論を行い,英語を共通語とし,ファーストネームで呼び合うその様は,少なくとも日本では見られない光景.(ここでは,学生も教授をファーストネームで呼ぶ)

その自由闊達さは本当に羨ましい限りだ.
     "これがアメリカの誇るCosmopolitanなのだ"
     "学問の基本はここにある"
などと,ひとりで,かってに感激していた.

ニューズウィークに特集されていたが,アメリカの大学院教育は世界で最も信頼されており,特に工学/科学では世界の頭脳が集散する.
もっとも,最近の新聞で,膨れ上がる受託研究費と大学院偏重が,"forgotten undergraduate"(置いてきぼれにされた学部生)と題して,耶愉されたことも事実.
 

3.昨今の'一事が万事的'アメリカ事情

さて,ぐっと話しは変り,現地人アメリカ人とはどんな人種であろうか,などと大上段に構え,体験談,日米比較を織り混ぜつつ,その生態をエッセー風に綴ってみた.
全くの一事が万事的視野と単純素朴な発想であることを最初にお断りしたい.
"アメリカ人は陽気で、ジョークが好きで"などと始めても面白くはなく,やや斜に構えた現地報告を以下に披露させていただきたい.

まず,よく言われるのは,アメリカ人は地理音痴(geographically ignorant)であること,外国語(つまり英語以外の言葉)を学ばないということ.
(私の意見ではなく,アメリカ人本人から直接聞いたことを付記する).
察するに,アメリカはなにかにつけて大国故,国内マーケットで十分事足りることの副産物でしょう,善意に解釈すれば.

そのときの話しによれば,アメリカの学校では,日本のように国名や都市の名前を白地図に書いて覚えさせるようなことはしないとのこと.
さすがに最近はこのことを見直しているということで,そう言えば,ブッシュ大統領がアメリカ人は地理を知らな過ぎると嘆いていることを,年頭教書かなにかの演説で聞いたことを覚えている.
国の名前で,'タイワン(台湾)'と'タイランド'の違いを説明するの苦労したことを覚えている.
一方では,また,「北京」,「南京」,「東京」が,異なる国での都(みやこ)であることを話すと,彼らは興味を示す.

一方,言葉については,極端に言うと英語ができないということ自体が,彼らには想像し難いようだ.
"Would you speak more slowly?"と,こちらが言って,そうしてくれたアメリカ人を私は知らない.
主語,述語だの,仮定法過去完了だの,頭の中を巡らせて,英語を使っていることは,およそ彼らには想像の及ばない所.
しかし,同じように外国人だからといって,(良きにつけ,悪しきにつけ)特別扱い(差別)しないことも事実だ.アメリカ旅行中に,道を聞かれて,困ったことも少なくない.

このような特性は,ひとりよがりというか,モンロー主義の伝統とでもいったらよいか,こちらでのオリンピック放送を見てて,つくづくそう思った.つまり,自国(アメリカ)の勝った試合だけを放映するのだ.しかも,優勝選手のエピソードやインタビューなどを織り混ぜたりして(地元のNBC-Denver)だけかも知れないが).
かたや,日の丸日本は全く無視といったところで,テレビで日本選手を見たのは,体操の鉄棒と平行棒だけ.それも米国選手の優勝に花を添えるというストーリーだった.
仕方なく,ボールダーでは,あの奇怪な坊主頭(男子バレー)を応援していた.

ただ,アメリカ選手は,溌剌として自信に満ちあふれ,見ていて気持ちがいいのも確か.しかも,気合いの入り様が違う.
あのガッツポーズには,とって付けたものとは違い,米国200年の歴史を偲ばせるものがある.
例えば,相撲の四股,歌舞伎の見栄が'日本もの'とすれば,ガッツポーズは,本場アメリカが一番ということか.

4. お世辞の国,アメリカ:

さて、次にもう一つ言いたいのは、アメリカは"お世辞の国"だということだ.
これは、日本人の専売特許のように言われているが,どうして,どうして,こちらでは要注意.

日本語の場合,その中に尊敬語ないしは謙譲語が存在し,それらの形式的・文法的な使い分けによってその意を醸し出すのに対して,米国語での褒め様はその場その場で具体的・直接的に表現する(わかったように書いているが,適当に聞き流す程度にして下さい).

例えば、
     『僕は、英語がなかなか上達しません』,
というと,
     『そんなことはない,もし私が日本語を勉強してたら,とてもそんなには話せない』
と返ってくる.なるほど,具体的で説得力がある.苦手の仮定法過去完了だ.

また,あるとき,講演を終えたある米国教授に,
     『あなたの(鉄筋コンクリートの)引張剛性の理論は、わたしの提案式と非常に似ている.』
と論戦を挑んだら,
     『Wise men think alike』(賢い者は,同じようなことを考えるものさ)
と言われ,それ以上返すことばがなく,全身の力が抜けてしまったことを覚えている.
もっとも,このとき,それがすぐに聞き取れず,「I beg your pardon?」を繰返し,相手に同じフレーズを3回も言わせてしまった.
相手の教授もめげずに繰り返していたが,こういうsituationでは常套句であったことも,英語の場合想像に難くない.

***
最後のとどめは,中古車を買って,3年の保証(ちなみに英語でwarrantyという)を約750ドルで買ったときのデイラーとのやりとり.

値段そのものは,値切っても無理だと察知し(このとき既に,簡単な修理と全タイヤの新品交換をただでつけてもらっていた),
ひとくさり世間話しをしてから,おもむろに次の定期点検を一回ただでやって欲しいと切り出した.

うまく通じたかどうか思案していると,相手のマネージャー(そこで一番偉い人)に,
     『あなたはアメリカに来たばかりで,よくそんな交渉ができるか感心した.』
と持ち上げられ、恥ずかしいやらうれしいやら.
     『しかも,大変なタフ・ネゴシエーダーだ.』
と,とどめを刺された.すっかり舞い上がってしまい,そんなサービスの交渉はどこへやら.気がついたら,きっちり契約が終わっていた.
この場合,お世辞というより,いなされたという感じだが,計ったようなそのタイミングは見事としか言いようがない.

この手の褒め言葉は,具体的なため,型にはまると威力を発揮するが,その場その場での機知に富んだ対応が要求される.
こちらの目を真っ直ぐに見,真摯な態度で,お世辞を発するその様は,とても私たち日本人には真似ができない.
日頃の研鑽と言うか,彼らの文化というか,いずれにせよ,相手を大切にしようとする気持ちとウィットの精神の成せる業で,アメリカの良き伝統と認めたい.

***
もう一つ思い切って言うと,アメリカは戦争経験豊富な国である.(それもほぼ負け知らずの).ブッシュ大統領に言わせれば,"世界の警察を自認する",ということになるが.
膨大な国防費と世界に散在する米軍の存在は,私たち日本人の想像を越えたところがある.普段の生活では,もちろん何も気がつかないが,ちょっとしたときに出てくる.

それは,あるとき中古家具屋(正確に言うと,中古品委託販売:Consignment Goodsの専門店)でのお話.装飾に凝った年代物のチェストを見つけ,あれこれ話してるとき,
     『随分と古そうだけど,戦前(before the last war)のものじゃない』
     (本人は,もちろん,太平洋戦争のつもり)
と何気なくたずねたところ,店員のダンは,
      『え?戦前って,どの戦争のこと.湾岸戦争のことだったら,ついこの間終ったばかりだけど』
との返事.アメリカはこの何10年もの間,多くの国際紛争に介入しており,"the war" といってもどの戦争だかわからないのは確か.

ごく最近出た何か本によれば,兵器の商談で,アメリカ商人の売りこんでくる"Combat Proven(実戦証明付)"には,どこの国もかなわないとのこと.
件(クダン)のチェストは,100ドルで買って,今,家の寝室に鎮座しており,これをみるたび,アメリカ人は一本の時刻暦上に,どこどこオリンピックと何々戦争を込みにして記憶しているのではないかとさえ,思えてならない.

5. 最後にしめくくりとして:

わずか一年足らずの体験から,2億数千万人の国アメリカのことをいう訳だから,真偽のほどはおのづと知れる.局地的虫瞰図的アメリカ事情であることを,再度お断りしたい.
"アメリカ人とは、・・・・・・",と一言では言い表せないのが,間違いのない結論だろう.

そして,最後に一言,アメリカ人は,とき折'にくい'ことを言う.
これはある新聞で読んだ定期パイロット養成のお話し.

最近はフライト・シミュレーター(模擬飛行訓練装置)の精度が発達し,各国の航空会社はそれぞれの空港の飛行訓練をシミュレーターで行い,経費を節約しているとのこと.
しかし、日本ではさすがに実地訓練を経験してから実際の乗務につくのが常識だが,アメリカのある航空会社ではシミュレーター訓練だけのキャプテンが,いきなりその空港に飛んでくることがあるという.

あるとき,離着陸に不安はないかと聞かれて,機長はこう答えたそうな.
     『我々は,20年前からそうやって月面に着陸してきた.だから全く心配ないんだ.』
う・・・ん、にくい!

そんな自信の国アメリカも今はなにか芯になるものを失い始め,人々が変化を求めていることは,外国人の私たちにも気配を感じることができる.湾岸戦争の勝利と大量の金メダルでは,庶民の生活が改善されないことに彼らは実感として気がつき始めている.
今年度の連邦予算の赤字が,単年度でいよいよ3000億ドルを超えるという.外国人の私達でさえ,大丈夫なのか,と心配してしまう.

アメリカ人のお家芸である個人・家族・地域には,自信と誇りを持つことはできても,自分の国(連邦政府)についてはひとごとというか,どこか手の届かない所に行ってしまったことは確かだろう.
大統領選の争点が,外交軍事と内政経済から,いきなり家族の絆になってしまうことは,巨大なユナイテッド・ステイツとひとりひとり個人との接点をどうしたらよいのか,再度模索しょうとしていることの表れではないか.
多国民族国家アメリカの絆は,何なんだろうか?
壮大な実験国家,アメリカとは?

もし仮に,テレビとラジオがなかったら,アメリカはばらばらになってしまうんじゃないかと,余計な心配もあながち外れてはいないのではないか.

本誌12月号(1992年)が出るころには,民主党候補クリントン・ゴアの若きベビーブーマーに軍配が上がっていることを予測し,コロラド便りを閉めとします.

***後期談話:

上記の心配は,まったく杞憂であった.
この後,クリントン政権は,経済改革を成功させ,米国民は,アメリカンバブルを享受するのであった.

 

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